ニュース「安楽死を選んだ女性」を読んで思ったこと
泣き上戸な私はこの記事を見てさっそく泣いてしまった。
いくら本人が望んだこととはいえ、やはり死という現象は、残された家族にとって物悲しい。
死という現象はこれから先に向かって動くことのない事実ではある。
心を引き裂かれるような悲しみを周りの人間に残すが、時間が薬となって和らいでいくものだし、いつか周りの人間もおなじ境地へ旅立つ。
必ず訪れるものを、この人はちょっとだけ早めただけである。
しかしスイスは安楽死や尊厳死といったものが法に制定されているのかと驚いた。
思うことはたくさんあるが、ここでコメント欄である。
涙のリミッターがいくら低いとはいえど、私は哲学的ななにかとか、そのへんの学問をほんの少し修めた人間である。
そんな浅学な人間でさえ、「人の生と死」というテーマは激しい論争が渦巻いており、決定一つにものすごい時間と考慮を必要とするのを知っている。
だから記事のコメント欄で、そのうち超高齢化社会の日本でも導入されるだろうとか、死ぬ権利だって必要だと書いている人に、同意しつつ、そんな簡単な話じゃねぇぞ!と言いたくなるのだ。
きっと知っていて書いている人も中にはいるだろうから、全員にというわけではない。
こんなコメントを書いている人が文系なんてなくなってしまえばいいとどこかで書いたことがあるのなら、鼻で笑ってやりたいものであるが。
ES細胞が発表されたときのことを思い出してほしい。
ES細胞はヒトの卵子から作られるのだが、その卵子をヒトとするか、ヒトとしないかで当時めちゃくちゃ世界中でモメていた。
科学界・医療界ではなく、宗教とか思想界隈が、である。
意思がないからヒトでない、これから成長してヒトになる可能性が潰れるかもしれないというのが主だったものだった気がする。
ヒトがヒトである定義って誰が決めるんだ?
そこがいまいち、まだ人間は曖昧である。
そんなものを、簡単に導入しようぜ!というのはなんだかなぁ…という気持ちになる。
いや、気軽に意見を主張することもとっても大事だよ!
というかそういうのがもっと増えて、考える、知識が少しでもある、という状況が大事だと思う。
日本人は最近「死」という現象に立ち会わなすぎて、死について考えることがとてつもなく少ないから、自分たちの民族的な思想に触れたり、現代の事情に触れてみたりと、いろいろ考える機会が増えるといいなと思った。
めっちゃ脱線したけど終わる
ちなみにこの話でヒトの生と死ってそんなにムズいテーマなん…?と思った人は、もう終了しているが、金沢21世紀美術館の「細胞の中の幽霊」という展示の内容を見てほしい。
多分めっちゃ衝撃受ける。マジで。
よくわかる解説↓
この細胞は生きてて鼓動をうっていて、ヒトとしての情報もある程度持ってるけどヒトじゃないんだぜ。ヒューッ!