考察:「キンプリ」中毒者が多発する謎をガチで追う
最近ツイッターのTLで「キンプリ」なるものに中毒になっている人が多発している。
どうやら「KING OF PRISM」という、プリティーリズムレインボーライブという女児向けアニメの番外編タイトルらしい。
ことごとく視聴の感想がまともな日本語や具体的な感想の体をなしておらず、また、だいたいの視聴者が初見で身体が吹き飛ぶような錯覚や宇宙に漂っている感覚になるらしい。
視聴後は座席から立つことが難しく、最終的に「キンプリはいいぞ」としか主に発言しなくなり、スピンオフ元であるプリティーリズムシリーズを推してくる始末である。
これは由々しき事態だ。
というわけで筆者は友人のプリズムヤクザプリズムエリート(既に何度も視聴済み)とともに、アマゾンの奥地にならぬ、映画館へと向かった。
主に応援上映について触れます。
ネタバレを気にする人とキンプリ未視聴者は見ないほうがよいです。
また今回わりとガチで書いて長くなったので、結論だけ青字にしてます。
目次
実際行ってみた
おそろしいポイント1:冒頭ツッコミとアフレコ
おそろしいポイント2:定番あります
おそろしいポイント3:完成させる魔力-1
おそろしいポイント4:完成させる魔力-2
おそろしいポイント5:投票
おわりに
◆実際行ってみた
まず結果だが、筆者はなんとか、言語能力を失わずに帰宅することができた。
帰宅してしばらくして思ったことが1つある。
なんという、おそろしい映画だろうか!!!
というわけで次からそのおそろしさについて語る。
ちなみに視聴後は30秒ほど呆然として立ち上がれず、今でも頭の中で「EZ DO DANCE」がリフレインしている。
◆おそろしいポイント1:冒頭ツッコミとアフレコ
まず冒頭だが、キンプリ主人公の先輩たち、プロのプリズムスタァのライブから始まる。
華やかな技が繰り広げられ、なぜか展開は先輩たちそれぞれと、モブの女の子がニケツしているシーンが展開される。
そういうアトモスフィアを先輩たちは表現していて、かつ作中の観客たちは味わっているということなのだろう。
さて、そこで行われるイチャイチャ行為が、どう考えたって危ないし、やばい。
しかもモブの女の子のセリフを、応援上映では観客がアフレコできるようになっている。
どういうことだってばよ…。
話を戻すが、この流れがおそろしいポイントである。
まず最初に、作品にツッコむという行為によって、強制的に作品に足を踏み込ませる。
これはよくあるきっかけ作りの初歩的な手段なのだが、強力な効果を発揮しているのは次のアフレコだ。
通常上映では前述した効果をさらに持続させるだけに留まるが、応援上映は別である。
視聴者を、冒頭10分も経たないうちに作品に、完全に取り込んでしまうのだ。
視聴者が声を吹き込むことで、視聴者は声優となり、ストーリーの登場人物となる。
映画館の中にいるのではなく、時には製作陣に、ストーリーのモブに、時にはストーリーの中の空気だったり天の目だったりに成るのだ。
似ているものは、最近リメイクされた「ポケットモンスター」赤緑青ピカチュウ。
オーキド博士のレッツゴー!の言葉と一緒に、主人公である私たちは2頭身の姿へ転じて、ポケモンの世界へ入り込む演出がきっちりある。あれと同じだ。
別世界のモノに成るという行為は、宗教でいうと、昔の巫女さんが神おろしをしてお告げを云々という行為と似ている。
詳しく話すとなが〜くなるので、とてつもなく強力で、科学が発展しない場合フツーにウン百年も続くものすごい行為だと思ってくれればいい。
ほんとうに、ツッコみと、アフレコによる完全な取り込みという段階的かつ強力な作品移入を、冒頭からブチ込むとはおそろしいアニメである。
しかもアフレコ字幕がないところでも、アフレコできる箇所がプリズムエリートたちによって発掘され、伝播するのだからとんでもない。
製作陣に宗教とか心理学勉強してる人がいるんじゃないか…?と疑うレベルでやばい。
◆おそろしいポイント2:定番あります
先日の「おそ松さん」記事でも語った、オタクがハマる定番レシピが、キンプリにおいてもしっかり使われている。
これについては先日の記事を見てほしい。
考察:「おそ松さん」から、同人に疲れる女たち - それでもオタクやめない
◆おそろしいポイント3:完成させる魔力-1
「おそ松さん」記事でも少し触れたが、未完成なものを完成させることで人間は快感を得る。
そんな快感が終始降り注ぐのがキンプリだ。
前述したアフレコもそうだったが、観客が声援を送ることで映画がより完成していくのかおそろしいポイントその2である。
そもそも登場人物の1人である、太刀花ユキノジョウがやっている歌舞伎などは、観客の声援によって完成に近づく典型例である。
\よっ、国立屋!/ ※動画48秒あたり参照 他のアフレコシーンも見れる
しかもそれだけではない。
声援という共同・共有作業によって、さらに人々は安心感を得る。
人は誰かと同じことをすることで安心する生き物であり、この部分を満たしているといえる。
加えて、この共同・共有作業はSNS上でも行われるので、とんでもない規模を持っているのだ。
おそろしいことである。
さらに。
人と同じことばかりし続けると、人はどうしてか不満を持つに至る。
それをもキンプリは解消してみせた。
応援上映ではみんなと同じ声援を送ることがほとんどだが、自分が考えた新たな声援を言ったっていいのだ。
この3つの要素が成立しているものはなかなかない。
マジもんの宗教や演劇(テニミュなんかも含む)もこれにあたるが、アニメではなかなか見られないことだった。
キンプリは新たなアニメの新境地を開いたとおもう。
見てないけど映画のガルパンもきっとそんなかんじなのだろう。
◆おそろしいポイント4:完成させる魔力-2
長くなるので分けたが、こちらは主人公や仲間たちの成長というポイントから見る。
短い上映時間なので省かれ気味ではあったが、それでも主人公たちや先輩たちが、新しいステップへ踏み出し、成長しようとしているのは作品から伝わってくる。
古来よりというわけではないが、主人公成長モノにも未完成の魔力が潜んでいて、キンプリでは主人公の一条シンが映画最後にプリズムショーを魅せてくれるところがとりあえずの今作の完成ポイントだろう。
また、先輩たちのユニット、Over the Rainbow が解散するシーンもその1つにあげられるだろう。
完成したあとの、さらに完成を目指す物語はいつも人を惹きつけてやまない。
◆投票
映画が終わった、現実に戻らねば。
しかしキンプリは我々をそうたやすく逃がしてくれない。
入館時に渡されるプリズムキングカップの投票があるからだ。
現実にいながら、投票のために再びキンプリ世界の住人に成ってしまうのだ。
このことによって、さらにキンプリを引きずってしまうというか、日常と非日常の境目がそこだけ曖昧になってしまう。
もちろんこの投票や売り上げに続編がかかっているので、上記の理由だけとは言わない。
しかしながら劇場を出たあともプリズムの煌めきを容赦なくブチ込んでくる体制には、もはや畏敬の念を抱かずにはいられない。
◆おわりに
この筆者が語る話は、だいたい哲学や心理学、宗教を勉強した時に得た知識だ。
これらの学問というのは、だいたいが自己との語り合いであったり、誰かとの語り合いであったりする。
それらは場合にもよるのだが、心を安定させるためのものという意味合いが強い。
キンプリは心のマッサージだと誰かが言っているのを見かけたが、まさにその通りだと筆者はおもう。
残念ながら筆者は芸能界にまったく興味を抱けない人間なので、そこまでプリズム中毒にはならなかったし、世界が輝いているようにも見えない。
しかし頭の中は未だEZ DO DANCEだし、キンプリのことを考えると少し気分がよくなる。
だから最後に一言。
キンプリはいいぞ。
だって続きみたいんだよ。みんな推したい。