人に言えない”勧善懲悪観”
実は、2ちゃんねるやその系統の掲示板で語られる、通称「家庭板・鬼女板」の話題が好きだ。
特に、浮気制裁の話が大好きである。
人を陥れた人間が地獄の底まで落ちて絶望している様は愉快痛快極まりない。
いい記事を見かけると「ウッヒョーーーーサイコーーー浮気したやつ不倫したやつはGo to hell!!」と最高にハイな気持ちになる。
…と、リアルの知り合いや友人たちに言ってしまうと、「実は自分も…」と言われるより、きっとドン引きされることの方が多いだろう。
筆者の実の親でさえドン引きしたのだから間違いない。
「いくら悪いことをした人でも、そこまで思うなんて許容範囲が狭い、精神が幼いだけじゃない」と言われると、ぶっちゃけそうですよね…としか言えないのだが、今日は言い訳をさせてほしい。
いきなりだが、最初からこんなにもひねくれていたわけではない。
そういう不義理な話はどこか自分から遠い世界の出来事のように思っていて、自分に関係さえなければ、いけないことだけど勝手にすればいいと思っていた。
…のだが、積み重なる人生の中で、3度も交際相手に浮気をされ、大事な友人まで不倫に走ってしまった今となっては、もう憎むべき事象になってしまったのである。
「貴方が尽くしてくれるのは嬉しい。でも尽くされすぎて不満になった」
「不倫がいけないことだとわかっているが、もうあの子しかいないと本能で動いてしまう」
どんなに泣いて怒って筆者やまわりが説得しても、いけないことだと本人たちも頭では理解できていても、もう彼らの中では筆者や大事な友人や親族などどうでもいい、恋路を邪魔する存在と化してしまう。
人をここまで変えてしまうものを、どうして憎まないでいられようか。
特に不倫した友人には、2度筆者が浮気をされたことを相談したり愚痴ったりしていて、こんなことだけは絶対に許せないと何度も語っていたにも関わらず、浮気をやりなさった挙句、「(不倫の)相談に乗ってほしい」などとフザけた口をきいてきた。
やはり憎むべき事象であるし、そんな不義理なことをやった人間は社会にブチのめされたらいい。
そう思うのは一応被害者ゆえだろうか。
(恋愛という観点において、別れる原因をこちらも作ってはいるので、絶対的被害者とはいいきれないので)
そんなこんなで、過去お付き合いしていた人々も、大事な友人だった人も、今となってはほぼどうでもいい存在と化したのだが、そう言いながら、いまだにSNSの痕跡でも見かけてしまうと激しい苛立ちまたは嘔吐感が押し寄せ、不幸になっていればいるほど楽しい気持ちになる。
こんなことがあったものなので、ネットの掲示板やまとめサイトに掲載されている、スカッとする投稿を読むと、あの時の苦しみが少し癒えるような気がしている。
さらに、筆者の元交際相手たちや友人などよりもっとひどいことをした人間が、とてつもない地獄を見ているとさらに気分がよくなる。
だから浮気制裁のうまくいった話が大好きなのだ。
ちなみにこれだけ恋愛に絡むトラブルを経験したので、結婚とかありえない!そもそも信じられない!という気持ちがかたまっており、両親からの早く結婚コールがひどくうるさく感じる毎日である。
おわり。